「意見不表明」は監査人の”逃げ”か|ニデック×PwCを会計士の視点で考える
2026年9月30日、ニデックは2026年3月期の有価証券報告書を提出しました。会計監査人であるPwC Japan有限責任監査法人の監査報告書は「意見不表明」でした。年度監査としては2年連続になります。
報道の多くは上場維持の行方に焦点を当てています。本稿では視点を変えて、会計士の立場から「監査人は、意見不表明という結論をどのように選ぶべきか」を考えます。監査チームにしか見えない事情があり得ることは前提とし、個別判断の当否を断じるのではなく、監査人のあり方についての原則論として論じます。
監査人は、監査される側から報酬を受け取っている
財務諸表監査には、構造的な問題が存在しています。監査人は投資家のために意見を表明しますが、報酬を支払うのは監査を受ける会社です。日本公認会計士協会の倫理規則も、独立性を損なう要因のひとつに「自己利益」を挙げています。監査報酬への依存は、その典型です。
だからこそ監査意見の重みは、「監査人は会社に不都合な結論も出せる」という信頼の上に成り立っています。第三者委員会の報告書には、ニデックが監査法人を「くみしやすい相手」と捉えていたとの記述があったと報じられました。この構造が抱える問題を、端的に示す一節です。
監査意見の4区分と「意見不表明」の位置づけ
監査意見は大きく、無限定適正意見、限定付適正意見、不適正意見、意見不表明の4つに分かれます。このうち不適正意見は、財務諸表に重要かつ広範な虚偽表示があると、監査人が判断できた場合の意見です。言い換えれば、「誤っている」と言い切るためにも、十分な監査証拠が必要になります。
企業会計審議会の「監査基準」は、重要な監査手続を実施できず、自己の意見を形成するに足る基礎を得られないときは、意見を表明してはならないと定めています(第四 報告基準 一 基本原則4)。日本公認会計士協会の監査基準報告書705「独立監査人の監査報告書における除外事項付意見」(以下、監基報705)も同じ考え方です。十分かつ適切な監査証拠を入手できず、未発見の虚偽表示が及ぼし得る影響が重要かつ広範であると判断した場合には、意見を表明しないことを求めています。
今回PwCが挙げた理由は、不正会計に関与し、監査法人に虚偽の説明をした役職員の一部が、なお財務報告プロセスで責任ある立場にあることでした。会見では、関与者には決算の本業務から外れて支援に徹するよう求めたものの、守られないケースがあったとも説明しています。説明する側を信頼できなければ、手続をどれだけ重ねても、証拠の信頼性そのものが揺らぎます。この状況で適正とも不適正とも言わないのは、基準に照らせば筋の通った帰結です。
それでも「逃げ」に見えてしまう理由
それでも、意見不表明を監査人の責任回避と受け止める向きがあるのも事実です。理由は2つあると考えます。
1つ目は、利用者にとっての情報価値です。今回も市場関係者から、適正意見のない有価証券報告書には価値がない、という厳しい声が上がっています。適正でも不適正でもない監査報告書は、投資家の判断材料としては空白に近いものです。
2つ目は、前例としての影響です。「証拠が集まらなければ不表明」という結論が繰り返されると、「確信が持てなければ不表明」という安易な運用に流れるおそれがあります。監査人の本来の仕事は、証拠を集め切り、適正か不適正かを言い切ることです。意見不表明は、それが本当に不可能な場合に限って使う「最後の言葉」であるべきだと考えます。
日本公認会計士協会の南成人会長は、2025年3月期の不表明について、適切な監査証拠を入手できない状況では妥当だと述べていました。一方、今回の2026年3月期については、協会がプレスリリースで「資本市場の信頼性の観点から遺憾な事態」と表明しています。前者は個別判断の妥当性、後者は事態そのものへの評価なので、両者は矛盾しません。ただ、2期目の不表明が持つ重さの違いがにじむ表現だと読めます。
2年連続の不表明と「監査契約の解除」という選択肢
私がもっとも違和感を覚えるのは、この点です。
監基報705は、監査契約を結んだ後に経営者による監査範囲の制約があり、その影響が重要かつ広範であると判断した場合の対応を、次の順序で定めています。まず、現実的な対応として可能であれば監査契約を解除する。監査報告書の発行前に解除することが現実的に不可能な場合に、意見を表明しない(第12項)。さらに、契約を解除する場合には、その前に監査役等へ報告することも求めています(第13項)。つまり基準の上では、意見不表明は「契約解除ができない場合の受け皿」として位置づけられているのです。
監査基準報告書210「監査業務の契約条件の合意」も参考になります。経営者が契約条件の中で作業範囲に制約を課し、その結果として意見不表明になると判断した場合には、監査契約を新規に締結または更新してはならない、と定めています(第5項)。今回の事由は契約条件上の制約ではないため、この規定がそのまま当てはまるわけではありません。それでも、「不表明が見込まれる監査は引き受けない」という基準の考え方は示唆的です。
今回の事由が基準上どの区分に整理されているかは、外部から慎重に読む必要があります。ただ、原因が経営者側の人事・体制にあり、それが前期から解消されていないという点では、基準が契約解除を想定する場面に近いと考えます。1期目の不表明はやむを得なかったとしても、同じ原因で2期目も不表明になるのであれば、継続か解除かは、もっと真剣に議論されてよかったのではないでしょうか。
「残る」という判断の合理性
もちろん、PwCの判断にも合理性はあります。PwCは今後も監査を担当する方針で、久保田正崇代表執行役は監査法人としての責任を全うしたいと述べています。
上場会社の監査人が降りれば、後任探しは容易ではありません。監査人が不在のまま開示の期限を迎えれば、投資家はさらに情報を失います。不正の経緯を最もよく知る監査人が残り、人事刷新を条件に適正意見への道筋を示すほうが資本市場にとって望ましい、という考え方は十分に成り立ちます。新社長と監査法人の代表が並んで会見に臨むという異例の対応も、「残って改善を迫る」という意思表示と読めます。
企業会計審議会が2019年の監査基準改訂時に公表した意見書は、監査人が財務諸表利用者に対して自ら行った監査について説明することは監査人の職責に含まれ、守秘義務が解除される正当な理由にあたる、と整理しています。会見での説明は、この考え方に沿ったものです。
会計士としての見解
意見不表明は制度上の正しい手続きです。同時に、繰り返し使えば、監査人の「最後の言葉」としての重みを失います。2期目の不表明は、「なぜ契約を解除せずに残るのか」「残ることで何を実現するのか」という説明とセットで示されるべきだったと考えます。
ニデックには、東京証券取引所が指定する内部管理体制の改善期限が迫っていると報じられています。監査人が残ることを選んだ以上、これから問われるのは、次の監査で意見を表明できる状態をつくれるかどうかです。それは会社の課題であると同時に、監査という制度そのものの信頼にかかわる課題でもあります。
※本稿は、公表情報と監査の基準にもとづく筆者個人の見解です。特定の銘柄の投資判断を示すものではありません。
