コラム

中古価格が定価を超えるとき、ラグジュアリーブランドは値上げすべきか ― エルメスとロレックスに見る「上げない価格戦略」

ラグジュアリーブランドの価格は、何によって決まっているのでしょうか。

一般的な商品であれば、原価に利益を乗せるか、競合の価格を見て決めます。ところがエルメスやロレックスの一部商品では、店頭の定価よりも中古市場の価格のほうが高いという、通常の商品ではまず起きない「ねじれ」が生じています。

では、ブランドはこの差額をどう受け止めるべきなのでしょうか。「市場が付けた価格こそが本当の価値だ。自社は自らを過小評価している」と考えて定価を引き上げるのか。それとも「一時的な熱狂にすぎない」と見て、相場には合わせないのか。本稿では、欧州ラグジュアリーブランドのファイナンス&アカウンティングを務めてきた会計士の視点から、この問いを掘り下げます。

1. ラグジュアリーの価格は「機能の値段」ではない

ラグジュアリー・マネジメント研究の第一人者であるジャン=ノエル・カプフェラーは、共著『The Luxury Strategy』で、ラグジュアリーの価格は機能や原価から導かれるものではないと論じています。時間を知る機能だけなら数千円の時計で足ります。数百万円の時計に支払われているのは、機能ではなく、唯一無二の存在に対する価値です。

カプフェラーはさらに、ラグジュアリーブランドは価格を時間とともに引き上げていくべきだとも述べています。価格が上がり続けることそのものが、ブランドの価値を示すシグナルになるという考え方です。

この理論に立つと、ラグジュアリー商品は通常、定価の段階ですでに十分なプレミアムが乗っていることになります。それでもなお中古価格が定価を上回るとすれば、定価にも織り込みきれていない「さらなる価値」が市場にある、ということになります。

2. 中古が定価を上回る「ねじれ」の現在地

エルメス:プレミアムは続くが、縮小もしている

米国の中古ラグジュアリー大手Rebagの2025年版レポートによれば、エルメスの商品は中古市場での平均価値維持率が定価の138%に達し、主要ブランドの中で突出しています。過去10年でバーキンの中古価格は92%上昇し、同期間の定価上昇率43%の2倍以上となりました。

ただし、熱狂のピークはすでに過ぎています。米調査会社バーンスタインの集計では、バーキンとケリーのオークション価格は、2022年には平均で定価の2.2倍でしたが、2025年11月には1.4倍まで縮小しました。定番のバーキン30(トゴ)に至っては、中古価格が定価とほぼ同水準となり、プレミアムはほぼ消えています。

ロレックス:コロナ期の急騰は「例外」だった

ロレックスの中古価格は、2020年後半から急騰し、その後長い下落局面に入りました。中古時計の価格指数を提供するWatchChartsによれば、市場全体の指数は11四半期連続で下落したのち、2025年初めにようやく回復に転じています。

興味深いのは、現在の水準です。2017年からコロナ前までの緩やかな上昇トレンドをそのまま延長すると、2026年の中古価格はほぼその延長線上に戻っており、2020年から2024年にかけての急騰はトレンドから外れた一時的な現象だったと分析されています。さらに2026年第3四半期には、ロレックスの中古市場の在庫が過去最高水準に積み上がる中で、価格の伸びは鈍化しています。

つまり、同じ「中古が定価を超える」現象でも、その中身は一様ではありません。ここに、ブランドが値上げを判断するうえでの核心があります。

3. なぜ定価を中古相場まで上げないのか

仮に、定価200万円のバッグが中古市場で400万円で取引されているとします。ブランドはなぜ、定価を400万円にしないのでしょうか。理由は少なくとも4つあります。

理由1:中古価格は「最後の数個」の値段にすぎない

中古市場で付いている価格は、「今すぐ手に入れたい」という少数の買い手が、市場に出回る限られた数量に対して付けた価格です。ブランドが年間に供給する全数量を、同じ価格で売り切れるわけではありません。中古価格を定価の目安にすることは、需要曲線のいちばん高い一点だけを見て、全体の価格を決めるのに等しいと言えます。

理由2:「手に入らない」状態は、定価が需要を下回っているときにしか生まれない

定価を中古相場まで引き上げれば、需要と供給は釣り合います。そうなると、順番待ちも、入手できたときの特別感も消えてしまいます。ラグジュアリーにおける希少性は、生産量の少なさだけでなく、「需要を下回る定価」によって支えられているのです。その意味で、中古との差額は取り逃がした利益ではなく、希少性を維持するための費用と捉えることができます。

理由3:値上げは一方通行である

ラグジュアリーブランドにとって、値下げはブランド価値を損なう行為であり、事実上の禁じ手です。投機的な熱狂で膨らんだ中古相場に定価を合わせてしまうと、相場が崩れたときに定価だけが取り残されます。2022年をピークとする中古相場の下落は、まさにこのリスクを示しました。

モルガン・スタンレーが2026年7月に公表した中古時計市場のレポートも、中古価格の上昇は需要回復のシグナルではあるものの、正規店の定価が市場に完全に受け入れられた証拠にはならない、と指摘しています。

理由4:プレミアムには「構造」と「投機」の二層がある

中古市場のプレミアムは、大きく二つの層に分けて考えることができます。

  • 構造的プレミアム:ブランドの価値そのものが定価を上回っていることによる、長期にわたって持続する差額
  • 投機的プレミアム:金融緩和や一時的なブームによって上乗せされた、短期的に膨らんでしぼむ差額

ブランドが価格に織り込むべきなのは前者だけです。後者を追いかけて定価を上げれば、理由3で述べたとおり、相場の反落とともに身動きが取れなくなります。

4. エルメスとロレックス、それぞれの答え

この「二層」の視点で見ると、エルメスとロレックスは異なる対応を取っていることが分かります。

エルメス:毎年の値上げで、構造的な差額を少しずつ埋める

エルメスは毎年、着実に定価を引き上げています。2026年1月の米国での改定幅はバッグで3.8〜10.3%、バーキン25(トゴ)は12,700ドルから13,500ドルへと6.3%上昇しました。多くの商品で値上げ幅はインフレ率を上回っており、コスト上昇の転嫁だけでは説明できません。

これは、中古相場との差額を一気に詰めるのではなく、持続性が確認できた分だけを毎年少しずつ定価に取り込んでいく動きと読むことができます。バーキン30(トゴ)のプレミアムがほぼ消えたことは、この積み重ねの結果として、構造的な差額がほぼ定価に吸収された例と見ることもできるでしょう。カプフェラーの言う「価格を上げ続ける」戦略を、相場に振り回されない速度で実行しているわけです。

ロレックス:定価ではなく、中古市場そのものを取りに行く

一方のロレックスは、別の道を選びました。2022年12月、ロレックスは自社認定の中古品販売制度「Rolex Certified Pre-Owned(CPO)」を開始し、2年間の国際保証と真贋証明を付けて正規販売店で中古品を扱えるようにしました。続いて2023年8月には、1924年から取引関係にある世界最大級の時計小売業者ブヘラ(Bucherer)の買収を発表しています。

この買収によって、ロレックスは小売マージンだけでなく、人気モデルの中古市場での価値も、自社のCPO制度を通じて取り込めるようになったと指摘されています。定価を引き上げて差額を埋めるのではなく、差額が発生する中古市場そのものに自ら参入する。これがロレックスの答えです。

エルメスロレックス
プレミアムの性格構造的な層が厚い投機的な層が大きかった
定価への対応毎年の着実な値上げ相場に合わせた急な引き上げはしない
差額の取り込み方定価への段階的な反映CPO制度と小売網の取得による中古市場への参入

5. 会計士の視点:その差額は誰の損益計算書に載っているのか

ここで、会計の視点からこの現象を見直してみます。定価200万円の商品が中古市場で400万円で取引されたとき、差額の200万円は誰の利益になっているのでしょうか。

答えは、ブランドではありません。ブランドの売上として計上されるのは、最初に販売した200万円だけです。差額は、最初の購入者や中古販売業者、並行輸入業者の利益として、ブランドの外で計上されます。ブランドの損益計算書から見れば、中古市場のプレミアムは「自社の価値によって生まれながら、他社の利益になっている金額」です。

ロレックスのCPO制度とブヘラの買収は、この流出していた差額の一部を、グループの内側に取り戻す試みとして理解できます。定価を動かさずに、つまり希少性を損なわずに、差額を回収する経路を自ら作ったのです。

この視点は、日本で事業を展開するラグジュアリーブランドや、ラグジュアリー市場を目指す国内ブランドにとっても示唆があります。

  • 中古価格を経営指標として見る:中古市場での価値維持率は、ブランドの熱量を測る外部指標になります。定価改定の判断材料として、定期的にモニタリングする価値があります。
  • プレミアムの「持続性」と「広がり」を確認する:差額が複数年にわたって続き、幅広い商品に及んでいれば構造的、短期間に一部の商品だけで急拡大していれば投機的、と見分けるのが一つの目安です。
  • 差額の回収経路を設計する:定価の引き上げ以外にも、認定中古や下取りなど、中古市場との関わり方によって差額を取り込む方法があります。その際は、取引の形態に応じた収益認識や、グループ内取引の価格設定もあわせて検討が必要です。

6. 結論:「上げられるのに上げない」は戦略である

中古価格が定価を上回ることは、ブランドの自己評価が低いことを必ずしも意味しません。むしろ、需要を下回る定価こそが希少性を生み、ブランド価値を支えているという側面があります。

問われるべきは「上げるか、上げないか」ではなく、「そのプレミアムは持続するのか」です。構造的な差額であれば、エルメスのように時間をかけて定価に取り込む。投機的な差額であれば追いかけず、ロレックスのように別の経路で取り込む。中古市場の価格は、正しく読めばブランドの価格戦略にとって最良の外部データになります。

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参考文献・データ出典